マフラー
「ぶへっくしょい!」
いかんいかん。まるで生臭坊主のようなおっさんくさいクシャミが出てしまった。暑いからと素足を投げ出していたり、寝間着姿で食堂に降りると、ヒンメルに叱られたことを思い出す。
彼曰く、エルフとは神聖で美しい生き物なのだから、イメージを損ねることはやめるべきだと。しかし、そんなことを勝手に決めつけられても、これが実際のエルフなのだから仕方がないじゃないか。そう口答えしたのも懐かしい。
私がどうあるかはともかく、人間はエルフをそんな風に見ているらしいので、もう少し可憐なクシャミ?可憐なクシャミってなんだろう。まあ、おっさんくさいのはまずいだろうと口元に手を当てて、ホホホと笑う。寒い街の広場には人もまばらで、誰一人こちらに注目などしていなかったので、私の気遣いも無用の物となってしまった。
半世紀前、4人で魔王討伐の旅をしたときは、寒いときにはハイターが暖気で包む魔法を使ってくれていた。防寒着を用意しなくても北の地を歩けることがありがたかった。それでも、寒がりの私には十分寒かったんだけど。
今居るのは中央諸国のとある大きな街で北の寒さと比べたらそこまでではないはずなのだが……。
「くしゅ」
今度のクシャミはエルフ的に成功ではないか?そう思い、ふと斜め上に目線を上げる。 「そうだね」そう笑う青はそこにはない。青空どころか、目線の先は曇天で、今にも雪が降ってきそうな灰色だ。
ぶるりと震え、思わず自分の腕を抱きしめる。魔王討伐の旅の後、一人でこっそり北側にも行ったけど、こんなに寒くなかった気がする。まあ、そのときは結局寒さに負けて早々に引き返してきちゃったんだけど。
今一度、灰色の空を仰ぎ、冷え冷えとした空気の入る胸元を押さえる。ヒンメルがこの世界からいなくなって、色も、温度も、半分くらいになってしまった気がする。それは夏から冬になったせいなのか。それとも私の心持ちのせいなのか、今の自分にはよくわからない。
今年の冬は小屋に引きこもらず、人を知る旅を続けようと決めている。それならばと、街一番の衣料品店を目指して歩く。
店には色とりどりの冬の装いが展示してあった。
「なんでもいいから、サイズぴったりのを」と言うと、店員があれやこれやと出してくれる。
「君は白が似合うね」
そんな声を昔聞いたと思い出し、柔らかく白い羊毛のコートを指さす。首元も暖めたほうがいいかと、マフラーも見繕う。
冬服は大抵暖色で温かみのある色が多いのだが、その中で一つ、涼しげな空の色を見つけた。今更ながらに会いたい色だった。
新しいコートに身を包み、マフラーを巻き外に出ると、すでに地面にはうっすら雪が積もり始めていた。しかし店に入る前とは格段に違う暖かさ。やはりおろしたての羊毛は違うな、定期的に羊毛の毛を立てる魔法を使ってやらねば、と手に入れたコートの暖かさを保つ方法を考えながら歩みを進める。
この街の中央にもヒンメル像が堂々と立っている。確かイケメンポーズの32番目のやつだ。
そこに花を供える少年と少女が目に留まる。面差しが似ているので兄妹だろうか。
少年と比べ幼く小さな少女は背が足りず、台座にしがみつくように、小花を並べていた。
「危ない!」そう声を出す間もなく、少女は地面へ尻餅をついた。落ちる際に石の側面で擦ったのか、膝は擦れて血が滲んでいた。
痛みに涙を堪える少女に、連れの少年はそっと手を差しのべ抱きしめる。優しく数度背中を叩いたあと、ひょいと抱き上げ彼女に一言二言声をかける。すると、少女からは満足げな微笑みがこぼれた。
彼は少女を抱き上げたまま、頑張ったご褒美とばかりに軽快に歩きだした。きっと暖かい家族の待つ家に帰るのであろう。
私は彼らを見下ろしていた銅像にそっと近づき、氷のように冷たい足先に触れる。
濡れた手で触ってしまおうものなら、氷って一生離れられなくなりそうな冷たさだ。
今にも風で吹き飛ばされそうな小花は、この寒い時期の精一杯の彼らの思いなのだろう。この街にはヒンメルが奔走した跡がたくさんあるのだから、きっとそのお返しだ。
ふと先ほど買ったマフラーを撫でる。
暖かくもチクリと痛い。おろしたての毛、独特の感触だ。
今の気持ちはなんだろうね?尋ねたいけど答えは聞けない。
もどかしさに握った拳でヒンメルの足を叩いてみたが、自分の手が痛むだけだった。