終の旅
「次のエーラ流星を見ることは難しいかもしれません」
自身の状態を正しく知りたいから、些細なことも包み隠さず正直に教えてほしいという僕の願いに、医者は静かにそう答えた。
察していた体の状態と、医者の判断、それらはぴったり一致していて。
「少し、残念だね」と微笑み返すことしか出来なかった。
今の人の平均寿命は50歳ほどらしい。だがそれは乳幼児の死亡率が高い事と、近年まで続いた魔族の戦いのせいであり、あと10年もしたら平均寿命は20歳は伸びるだろうと言われていた。現に今も街には80を超えた者達が大勢、逞しく元気にくらしている。
今年で僕は76になる。死にたくないとごねるには、はずかしい程度の年を重ねている。60を過ぎた頃から、急に体が衰えだした。頭髪に関しては、そのしばらく前から薄々としてしまっていたので、なるべくしてなるものと諦めていたのだが、腰がまがり背がみるみる縮んでしまったことには自分でも驚いた。
医者曰く、若いころから肉体を酷使していると、そうなりやすいらしい。なるほど、確かに酷使といえばそうかもしれない。そして体の負担を実感してからも、僕は剣を握って人々の憂いを払いに行くのをやめなかった。
ほっとした笑顔と感謝の言葉をもらえば、腰の痛みなど吹き飛んでしまう。昔と変わらず、今だって胸が暖かくなるのだ。この一人冒険を、いつか彼女が耳にする時もくるのかもしれない、そう思うだけでも楽しみで頬が緩んだ。
50年前に仲間との旅を終えてすぐ、僕は再び旅立った。そして女神の書の解読と、国中の「困りごと」解決に奔走していた。
フリーレンが数年で自分を訪ねてくれる気なんて全くしなかったというのと、皇都で国から譲られた家に滞在していると、あちらこちらから縁談が舞い込んで来ることに辟易していたからだ。
齢30を越えた頃からだったか、皇都の家に戻る度に知った顔が所帯をもっていった。時にはその祝いの場に参列することもあった。
そして、産まれる赤ん坊の名前を付けたのも10人を越えたあたりだったか、僕はちょっとだけ壊れてしまった。
いつか見た、フリーレンの花嫁姿を。愛を誓うに至った優しい時間を。愛おしいその微笑みを。その幻に心が蝕まれて酷く荒れた。
それまで「後悔」と無縁の人生を送ってきた反動だろうか。暗闇のような世界の中で、後悔と、諦めた夢に涙して、思いを寄せる彼女を恨んだりもしてしまった。
今となってはその頃のことはあまり思い出せない。噂を聞いて駆けつけたハイターに何発か殴られて、強制的に聖都へ連行され、孤児院で働かされた事は覚えている。
きっと彼がいなかったら僕は折れてしまっていたのだろう。
穏やかな日々を取り戻した僕に、ハイターは所帯を持つことをすすめてきた。しかしそれはついに、叶えてやることはできなかった。
いくら自分の体調に焦りを感じたところで、エーラ流星は急いでやってこない。
人生かけて、思いの欠片はあちらこちらに蒔いてきた。未来の彼女に繋ぐ大仕事も無事終えた。この生に後悔はない。
そう、また一つ大きな夢を諦めかけた頃。いつものからっぽな街に、別れた時と変わらない美しさの彼女を見つけた。
懐かしい声に振り返ると、そこには輝くはげ頭があった。
旅をしていた頃は、その美しい髪をわざとなびかせとキラキラオーラを発していたものだが、
何も頭皮までかがやかせなくともよいのではないか?と少し可笑しくなってしまった。
老齢になった人間の仲間達に合わせたゆったりした旅は、まるで50年前に戻ったように楽しかった。
覚悟はしていた。覚悟はしていたのだが、ヒンメルに再会したときの衝撃は小さくはなかった。
かつて見上げた青い瞳は、今では見下ろしたところで彼が顔を上げてくれない限り目線が合うことはない。
そこで気づいてしまったのだ。
私がヒンメルを見上げた時、いつも彼は優しく微笑みを返してくれていた。彼はいつも私を見ていてくれたのだ。
ふと彼が私を見上げてにこりと笑う。その瞳は昔のままの澄んだ青で、優しくて。
道中のヒンメルは足取りがピコピコと音を奏でるようで、とても楽しそうだった。小さくなったのも相まって、子供みたいだとハイターと笑い合った。
しかし、頻繁な休憩の度に、ハイターが彼に癒やしの魔法を掛けているのに気がついた。王都から持参した薬も服用しているようだった。
ざわざわする胸に気づかないフリをするように、浮かれるヒンメルに合わせ、私も前を向き笑って見せた。
流星を見た帰り道、ふとヒンメルが尋ねた
「フリーレン、君は王都に戻ったらまたすぐに旅立つつもりなのかい?」
「うん。そのつもりだけど、急ぎでもないから少しゆっくりしようかな」
ヒンメルの体が心配だ。しばらく側にいようか?
そんな本音は、50年も会いにこなかった薄情な私には言えなかった。
しかし察しの良い彼は
「君は優しいね。僕の心配はいらないよ。そうだ、一つ君に贈りたいものがあるんだけど、行く前にそれだけ受け取ってくれないだろうか?君は嫌がるかもしれないけどね」
ムフフと笑う彼の顔は、いたずらな少年のようだった。
往復で2週間。懐かしい仲間と、思いを寄せる美しい彼女と旅ができた。
あとはそうだな、僕らしく爽やかに皆と別れをして、いつも通り自分の家に引きこもって。
それから目の前に来ている死を迎える準備をしないとな、そう思っていたところだった。
だけど、僕の足は、王都の正門が目と鼻の先というところでもつれ、歩む事を拒否してしまった。
「ハイター!ヒンメルが!」
最後尾をのんびり歩く僕の隣、この旅の間常に寄り添ってくれていたフリーレンが叫ぶ声がきこえる。
らしくないその焦った声も、ぼんやりと水中にいるように遠く聞こえる。
衛兵が駆け寄る音、ハイターとアイゼンの励ます声。
もう、全てが虚ろにしか聞こえない。
はげ上がった頭部が柔らかく包まれる。もしかして僕は人生初の膝枕というやつをされているのかもしれない。
しかも相手は一生思い続けた、美しいエルフのお姉さんだ。いや?衛兵だったらどうしよう、それなら少し悲しいな。
しかし、参ったな。
長い長い旅に立つ君に。沢山の幸せが降りますように、笑顔で僕の事を思い出せますように。
そう祈りを込めた、さよならの口づけを頬に贈る予定だったのに。
キザだなって笑って去る君の笑顔を胸に、一人で逝くつもりだったのに。
今、僕を支える腕の震えを止めてやることも、もうできないなんて。